たつき諒さんの夢日記と予言を紹介します。
東日本大震災(3.11)や2025年7月5日の大災難を含む予知夢のネタバレです。
さらにWikiまとめでは詳しい経歴も紹介しますね。
- たつき諒の予言含むスピリチュアル関連情報もくじ
- たつき諒の夢日記と有名な予知夢(予言)ネタバレ
- たつき諒さんの予知夢 フレディ・マーキュリーの死去「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
- たつき諒さんの予知夢 日本のロックシンガーの死去
- たつき諒さんの予知夢 ダイアナ妃の死去「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
- たつき諒さんの予知夢 女性の被害者「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
- たつき諒さんの予知夢 富士山噴火(本人は富士山噴火を否定している)「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
- たつき諒さんの予知夢 未知のウイルス(コロナ)が現れる
- たつき諒さんの予知夢 阪神淡路大震災「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
- たつき諒さんの予知夢 赤ちゃんの人質事件「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
- たつき諒さんの予知夢 東日本大震災(3.11)「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
- たつき諒さんの予知夢 フィリピン海の海底が破裂して大津波が来る。2025年7月5日午前4時18【120mの津波】「私が見た未来 完全版」【ネタバレ】
- たつき諒の予言 2025年7月の大災難が「2025年7月5日午前4時18分」である法則を解説
- たつき諒 Wiki経歴まとめ
- たつき諒が漫画家を目指したのは17歳のとき
- たつき諒は20歳のときに読み切り『郷ひろみ物語』にて漫画家デビューする
- たつき諒は1978年頃から予知夢日記を書き始める
- たつき諒は「私が見た未来」を執筆した1999年に漫画家を引退する
- たつき諒の著書「私が見た未来」が東日本大震災を予言して話題になる
- たつき諒は1999年に漫画家を引退。医療事務や福祉コーディネーターの仕事で働く
- たつき諒の名を語る偽物(なりすまし)の富士山噴火予言(デマ)が奇しくも、たつき諒の予知夢ブームの引き金となる
- たつき諒本人が偽物(なりすまし)の暴挙を阻止して「私が見た未来 完全版」を発売する
- たつき諒が「私が見た未来 完全版」を発売した理由。予言と現役復帰
- たつき諒の著書「私が見た未来 完全版」はベストセラーになる
- まとめ
たつき諒の予言含むスピリチュアル関連情報もくじ
たつき諒の顔写真&予言と現在!マツコとアンビリバボー含むテレビ出演
NASAとJAXA2025年7月5日地球(フィリピン沖)隕石落下!「岡山県に首都を移す」保江那夫
たつき諒の夢日記と有名な予知夢(予言)ネタバレ
[たつき諒の夢日記には多くの予知夢が書き綴られている]
出典 文春オンライン
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そして、地震予知漫画として話題になったのが、たつき諒「私が見た未来」99年の本にもかかわらず、表紙にははっきりと「大災害は2011年3月」と書かれている。作中では津波にも触れており、偶然だとしてもゾクリとする。 pic.twitter.com/JF6rOsghpl
— 緑の五寸釘 (@TORAUMAHELLO) February 10, 2015
たつき諒さんは東日本大震災のような有名な予知夢だけではなく沢山の予知夢を見ており、それを分厚いノートに記録しています。
たつき諒さんは「いまも手元には分厚い夢日記が2冊あります。たくさんの夢が記録していますが個人的な夢ばかりです。締め切りが近いのにアイディアが浮かばず編集さんから電話がかかってくるとか」と話しています。
漫画のイメージボードの題材などの原案として書き綴っていたものが予知夢として的中したときは、たつき諒さん自身が驚いたと「私が見た未来 初版」の中で説明していますよ。
さらに、たつき諒さんはサイババと交流したときに前世でサイババの娘だったことをインド旅行に行ったときに思い出したと話しています。
たつき諒さんがサイババの娘だった時代は1800年代このこと。そして彼女はマラリアで死にますが父親であるサイババは何もできずにただ泣いているばかりだったようです。
今世で父の生まれ変わりのサイババと再会した娘であるたつき諒さんは頭にかぶったショールを意図的に吹かせた風で取られそうになるという不思議な体験もしているんですよ。
たつき諒さんの予知夢 フレディ・マーキュリーの死去「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
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フレディ・マーキュリー死去の予知夢は「私が見た未来 初版」のネタバレです。
たつき諒さんは1976年11月24日に「クイーンのボーカルであるフレディ・マーキュリーが流行り病で亡くなる」という予知夢を見ました。
それから10年と4日後である1986年11月28日にはフレディ・マーキュリーがクイーンのメンバーからいなくなっており、映画のメイキング映像の予知夢を見ます。
さらにクイーンの4人の銅像も見えましたが、その1人は知らないメンバーでした。そして銅像の左側のスペースは銅像があった痕跡がありますが無くなっていました。
フレディ・マーキュリーはHIVによる肺炎のため1991年11月24日に亡くなっています。HIVは80年代に発見されましたが、この頃の世間に認知されたばかりの病でした。
たつき諒さんが見た予知夢の15年後にフレディ・マーキュリーは死去しています。
フレディ・マーキュリーが亡くなった後のクイーンはアダム・ランバートという新しいボーカルを入れて音楽活動をしています。
たつき諒さんが夢で見た知らないメンバーとはアダム・ランバートのことであり、誰かの銅像があった痕跡がる左側の空いたスペースにはもともとフレディ・マーキュリーの銅像があったのかもしれませんね。
たつき諒さんの予知夢 日本のロックシンガーの死去
「本当の大災難は2025年7月にやってくる」東日本大震災の予言が的中…漫画家・たつき諒が語った“予知夢の意味”
たつき諒さんインタビュー #2#文春オンラインhttps://t.co/YuwcIh2FY8— 文春オンライン (@bunshun_online) December 27, 2022
たつき諒さんは1982年4月25日に「日本のロックシンガーが亡くなる」という予知夢を見ました。
そして尾崎豊さんは1992年4月25日に26歳で亡くなっています。
ちなみに尾崎豊さんは1983年にデビューしているのでたつき諒さんが予知夢を見たときは歌手になっていませんでした。
たつき諒さんが見た予知夢の10年後の1992年4月25日に尾崎豊さんは死去しています。
たつき諒さんの予知夢 ダイアナ妃の死去「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
この予知夢は「私が見た未来 初版」のネタバレです。
たつき諒さんは1992年8月31日に「ダイアナ?」という文字を含む予知夢を見ました。
そして「DIANNA」と叫ぶ年配女性の声が聞こえたと話しています。
夢の中のイメージには赤ちゃんを抱いた女性の姿が描かれており、その下には「DIANNA」と書かれて上部には「車」という文字がありました。
たつき諒さんが見た予知夢の5年後にダイアナ妃はパパラッチの追跡から逃れようとして車の事故で死去しています。
一説によるとダイアナ妃は事故当時に妊娠していたとも言われています。
たつき諒さんの予知夢 女性の被害者「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
女性の被害者の予知夢は「私が見た未来 初版」のネタバレです。
たつき諒さんは1989年8月27日に「海のそばにあるトンネルのような洞窟で水色のワンピーズを着た女性」の予知夢を見ます。
その女性の顔は、ぼやけていて見えませんでしたが何か言いたそうにしていることは分かったと話しています。
予知夢を見た一年後の1990年8月に、たつき諒さんは横浜の公園で夢に出てきた洞窟を発見して写真を撮りました。
その写真を撮影した半年後の1992年1月に、その公園で夢に出てきた女性が事件で亡くなりました。
ちなみに、たつき諒さんが見たトンネルのような洞窟とは掩体壕(えんたいごう)というものであり戦時中に敵から人や物資を守るための施設です。
たつき諒さんの予知夢 富士山噴火(本人は富士山噴火を否定している)「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
たつき諒さんの予知夢では、
2021年8月20日 富士山噴火
かもしれない🤔 pic.twitter.com/L1Q7Ccutqc
— Wish (@ju_ux) July 17, 2020
[たつき諒の名を語る偽物(なりすまし)が富士山噴火の予知夢を大々的に広めたがデマであったことが明らかになっている]
富士山噴火の予知夢は「私が見た未来 初版」のネタバレです。
たつき諒さんは1991年8月20日に「富士山が噴火する」という夢を見ました。
たつき諒さんの予知夢の法則は15日や15年後に現実化するという15の法則というのがあります。
ですが1991年から15年後の2006年にも、さらに15年後の2021年にも富士山は噴火していませんよね。
結論を言うと予知夢が外れたのではなく、たつき諒さんは自分で富士山の噴火を否定しています。
たつき諒さんは富士山噴火はあくまでもこれから未来に起こる出来事を象徴する暗喩(あんゆ)的なものであり、大規模な富士山の噴火は起こらないと思っている」と話しているんですよ。
富士山噴火の予知夢を大々的に発表したのは2011年頃に出現した『たつき諒の偽物(なりすまし)』です。偽物(なりすまし)が「富士山の噴火を警告」しており、それらの情報は全てデマであることが明らかになっています。
マスコミやYouTuberたちも、たつき諒の偽物(なりすまし)に翻弄(ほんろう)されています。
たつき諒さんに会ったNaokiman(スピリチュアル系YouTube)は「たつき諒さんは未来に関する多くの予知夢を日記に綴っている。富士山噴火の予知夢については偽物(なりすまし)が広めたことであり、たつき諒さんは実際に富士山が噴火するとは思っていない。富士山噴火はあくまでもパンデミックなどを象徴する暗喩(あんゆ)的なものであり、たつき諒さんは大規模な富士山の噴火は起こらないと思っている」と代弁しています。
ちなみに、たつき諒の偽物(なりすまし)は月刊誌「ムー 2021年7月号[13]」には『漫画家「たつき諒」が富士山噴火を警告!!』と題した記事を掲載させています。
これについて月刊誌「ムー 」は記事が誤りであったことを認めて謝罪していますよ。
たつき諒さんの予知夢 未知のウイルス(コロナ)が現れる
たつき諒さんは1995年1月2日に「未知のウイルスが現れる」という予知夢を見ました。そして4月にピークを迎えた後に消え、その10年後に再び現れるということでした。
そして2020年に新型コロナウイルスが世界中で大流行しましたね。
たつき諒さんが見た予知夢の約25年後である2020年1月15日に日本で最初の感染者が確認されています。
ですが予知夢にあった4月のピークと10年後に再び現れるという内容についてはまだ解明されていません。
たつき諒さんの予知夢 阪神淡路大震災「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
阪神淡路大震災の予知夢は「私が見た未来 初版」のネタバレです。
たつき諒さんは1995年1月2日に「神戸でひび割れた大地の映像と15日後か15年後という文字」の予知夢を見ました。
そして予知夢の15日後である1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。
たつき諒さんの予知夢を信じた20名の方が阪神淡路大震災が発生する前に神戸から非難したので助かったと言われています。
たつき諒さんの予知夢 赤ちゃんの人質事件「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
赤ちゃんの人質事件の予知夢は「私が見た未来 初版」のネタバレです。
たつき諒さんは1995年10月に赤ちゃんの夢を見ました。はっきりと赤ちゃんの顔を覚えている予知夢でした。
その2か月後の1995年12月に赤ちゃんが人質なる強盗事件が起こりました。
たつき諒さんは「私が見た未来」の作中で人質なった赤ちゃんと夢で見た赤ちゃんの顔は同じだったと話しています。
たつき諒さんの予知夢 東日本大震災(3.11)「私が見た未来 初版」【ネタバレ】
たつき諒「私が見た未来」
2011年3月11日に発生した東日本大震災を予言したと言われている漫画(本作の発行日は1999年)
表紙には『大災害は2011年3月』とはっきりと書かれており、作品中でも津波についてのエピソードが描かれている。 pic.twitter.com/Be6HJ4iGHa— Kei (@kinkai8) March 10, 2019
たつき諒「私が見た未来」
2011年3月11日に発生した東日本大震災を予言したと言われている漫画(本作の発行日は1999年)
表紙には『大災害は2011年3月』とはっきりと書かれており、作品中でも津波についてのエピソードが描かれている。 pic.twitter.com/Be6HJ4iGHa— Kei (@kinkai8) March 10, 2019
[表紙のたつき諒さんに傷があるのは東日本大震災で実際に怪我を負ったからです。怪我も予知夢に含まれていました]
東日本大震災(3.11)大津波の予知夢は「私が見た未来 初版」のネタバレです。
たつき諒さんは1996年3月11日に「2011年3月の大災害は東日本のどこか」という内容の予知夢を見ました。
そして同時に「顔に怪我を負っている自分の顔」の映像も見えています。
予知夢を見た15年後の2011年3月11日に東日本大震災(3.11)が発生しました。たつき諒さんも被災されて顔に怪我を負っています。
1999年10月2日に発売した著書「私が見た未来」(初版)の表紙には、たつき諒さんが顔に怪我を負った絵が描かれています。
ちなみに表紙には、たつき諒さんにとって特に印象的な予知夢も書かれているんですよ。
実を言うと漫画本の締め切りの日に予知夢を描くスペースが1コマだけ空欄で余っていました。
どうするか考える前に仮眠をとった時に「大震災は2011年3月」という黒い文字が白いスクリーンに浮かび上がってきたと話しています。
そして、たつき諒さんは「大震災は2011年3月」という予知夢の文字を表紙に付け加えたんですよ。
たつき諒さんが文字だけの予知夢を見るのはこの時が初めてでした。強いメッセージ性を感じて「この漫画を描かなくては」という使命感にかられたと話しています。
「私が見た未来 完全版」の表紙に描かれている、たつき諒さんは顔に怪我をしていません。
たつき諒さんの予知夢 フィリピン海の海底が破裂して大津波が来る。2025年7月5日午前4時18【120mの津波】「私が見た未来 完全版」【ネタバレ】
「本当の大災難は2025年7月にやってくる」東日本大震災の予言が的中…漫画家・たつき諒が語った“予知夢の意味”
たつき諒さんインタビュー #2#文春オンラインhttps://t.co/YuwcIh2FY8— 文春オンライン (@bunshun_online) December 27, 2022
これを発表したあと、本当に地震が続いた。#アンビリバボー #たつき諒 pic.twitter.com/HN5Q8sv5qb
— サイタマノ_チバ (@saitamano_chiba) April 7, 2022
2025年7月大災難の予知夢は「私が見た未来 完全版」のネタバレです。
たつき諒さんは2021年7月5日午前4時18分にフィリピン海の海底が破裂して大津波が発生するという予知夢を見ています。
日本列島の南に位置する太平洋の水が盛り上がり、巨大津波が日本を襲うと予言しているんですよね。
たつき諒さんは2022年2月5日午前5時頃に同じような予知夢を見ています。
それは2025年7月5日4時18分に巨大な津波が発生するという予知夢でした。
「本当の大災難」とは東日本大震災の津波と比較しており、その波の規模は3倍と言われています。
東日本大震災の津波の高さは40m(岩手県宮古市)なので、3倍の規模ということが本当なら2025年7月5日4時18分には120mの津波が日本列島を襲うことになります。
このときにたつき諒さんは「大災難は2025年7月」という黒い文字が白いスクリーンに浮かび上がってきたと話しています。
文字だけが鮮明に見える予知夢を見たのは東日本大震災の「2011年3月」と「2025年7月5日」の2回だけ。たつき諒さんは強いメッセージ性を感じて伝えなければならないと強く思ったと話していますよ。そして被害の規模は「南海トラフどころではない」というメモも公表しています。
たつき諒さんが見た予知夢の内容は2つの竜が日本とフィリピンの中間地点に向かっていくと海底がいきなり破裂して東日本大震災の3倍に相当する巨大津波が発生するというイメージでした。
そしてフィリピン海の海底火山が爆発して東日本大震災の3倍の津波が発生します。
津波の規模は日本列島の太平洋側沿岸3分の1から4分の1まで波に飲み込まれるので沖縄・九州・四国・本州・北海道が影響を受けるということになるでしょう。
そして噴火と津波の衝撃によって被害は広範囲におよび、香港・台湾・フィリピンが地続きなるような感じに見えたとのことです。
そしてたつき諒さんはフィリピン海の水深6000mから10000mが持ち上がるとハワイ諸島方面から大きな竜のような物が日本に向かって来るというビジョンも見えています。
たつき諒さんはこの予知夢で災害が発生する前に避難する準備ができたので多くの命が助かる。そして被災した後は日本が一つにまとまり復興に向かう明るい未来も見えたと伝えているので、もし予知夢が的中しても日本や地球が滅亡することはないでしょうね。
たつき諒の予言 2025年7月の大災難が「2025年7月5日午前4時18分」である法則を解説
海面が100m上がった世界線を描いてみたら ”日本のようで日本でない列島” が出現。
どこに都市ができて、どんな産業が育つんだろう?地形が険しいから国内線✈が発達する?旅行先はどこがいいかな?・・・などなど考えてるうちに秋の夜が更けていく🌔 pic.twitter.com/42QEN3FytM— にゃんこそば🌤データ可視化 (@ShinagawaJP) November 7, 2020
[日本列島の海面が100m上がった時のシミュレーション]
たつき諒さんは2025年7月に海底火山の噴火や巨大津波が日本列島を襲う大災難を予言しています。
結論を言うと巨大な津波が日本を襲うのは2025年7月5日午前4時18分に大災難は起こると言われています。その理由を説明しますね。
たつき諒さんは2021年7月5日午前4時18分に日本列島の南に位置する太平洋の水が盛り上がる予知夢を見ます。
そして2022年2月5日午前5時頃に同じような予知夢を見ています。
たつき諒さんの予知夢には『見た日と同じ月日に予知夢は現実に起こる』そして『5という数字に関連する』という2つの法則があるんですよ。
たつき諒さんは2025年7月に海底火山の噴火により東日本大震災と比較して3倍の巨大津波が日本列島を襲う大災難を予言しています。
つまり、5日午前4時18分であることの理由が知りたいですよね。
たつき諒さんが1回目に予知夢を見たのは2021年7月5日午前4時18分です。
そして2回目に同じような予知夢を見たのが2022年2月5日午前5時頃です。
つまり、どちらも「5日」に予知夢を見ており、法則である『5という数字に関連』しています。
このことから2025年7月5日に巨大津波は発生すると言われているんですよ。
ちなみに2022年2月5日の5ヵ月後は7月であることも法則と一致していると考えられています。
4時18分に一致する法則については予知夢を見た2021年7月5日午前4時18分と同時刻に予言が現実化するという見方があるようですよ。
この予言の日時は保江邦夫さん(理論物理学者)がNASAの情報として2025年7月5日午前4時18分に小惑星の破片が落下すると公表していることにも一致しています。
たつき諒 Wiki経歴まとめ
[たつき諒 顔写真]
出典 https://javelinmitsu.com
たつき諒さんの顔写真は著書「宝石物語(ジュエルストーリー)」[1983年12月10日発売]に掲載されています。
たつき諒さんが29歳のときに宝石物語(ジュエルストーリー)は発売されていますよ。
たつき諒さんはメディアには出ないので顔写真はかなり貴重です。
たつき諒さんは9歳の頃に神様としか思えない不思議な存在と出会ったことがあると話しています。
転校先の学校で友達に馴染めずに登校することが嫌だった時期でした。
そんなある日、たつき諒さんは風邪をこじらせたときに布団の中で「私はなんで私なのだろう?」「なぜこの地球に生まれて、この体でなければならなかったのだろう?」と考えていました。
そして、たつき諒さんは幽体離脱をします。
たつき諒さんは身体を抜けて家を出て、空に上がって宇宙空間にほど近い雲の上に笑顔の老人に会いました。
白髪で、ひげも白くて、身にまとっている布も真っ白な老人を見たときに「もしかして神様なのかも……。」と思いました。そしてなつかしい感情に包まれて涙があふれてきたと話していますよ。
たつき諒さんは「私は印象的な夢を見ると目が覚めても忘れません。起きてもハッキリと記憶に残っている夢がいくつもあります。もしかすると何か意味があるのかもしれないと感じて、少しずつ夢の内容をメモするようになりました」と話しています。
そして「夢はいくつも見るのでメモだとバラバラになってしまうので1985年から夢日記をノートに書き綴るようになりました。津波の夢にしても10代の頃にはもう夢で見ていたと思います。でも当時は日付けも書かずに夢の内容だけをメモしていただけなので正直に言うとあまりよく覚えていないのです」と明かしています。
たつき諒さんは「霊感はない」と話していますが神秘的な体験をいくつもしているんですよ。
たつき諒が漫画家を目指したのは17歳のとき
たつき諒さんは横浜商業高校に通う女子高生だった当時17歳のときに交通事故に遭い命をとりとめた経験をきっかけに漫画家を目指します。その動機は家にいながら活動できるし顔出しをしなくてよいこと、そして何より生きた証を残せる仕事がしたかったからです。
そして兄が購入した「マンガ家入門」(石ノ森章太郎著作)を読んで執筆を始めると出版社に作品を持ち込みます。
たつき諒は20歳のときに読み切り『郷ひろみ物語』にて漫画家デビューする
たつき諒さんは漫画家アシスタントとして下積み時代を過ごします。そして秋田書店の編集者からスカウトされました。
そしてたつき諒さんは20歳のときに「月刊プリンセス 1975年7月号」(秋田書店)に掲載された読み切り『郷ひろみ物語』で漫画家デビューを果たすと『人形物語』などの作品を発表しているんですよ。
たつき諒は1978年頃から予知夢日記を書き始める
たつき諒さんは漫画を執筆するための原案としてアイデア・ノートを描いていましたが1978年(昭和53年)頃から睡眠中に見る夢の内容も記録し始めます。
1985年(昭和60年)から、たつき諒さんは夢で見た内容を夢日記として書き留めるようになります。この夢日記のタイトルは「夢の記録」でありイラストと文章で夢の内容をくわしく書くことが習慣になっていったんですよ。
たつき諒は「私が見た未来」を執筆した1999年に漫画家を引退する
たつき諒さんは夢日記をもとにして1999年7月に『私が見た未来』を執筆すると漫画家を引退します。
たつき諒さんは漫画家を引退した理由はについて「書けなくなったから」と話していますよ。
引退するまでにたつき諒さんは99作品を発表していますが連載につながるようなヒット作はありませんでした。全て読切短編集であり一巻と銘打ったシリーズがなかったんですよね。
つまり当時のたつき諒さんはヒット作がない無名の漫画家だったと言えるでしょう。
ちなみに、たつき諒さんは1975年から1999年までの25年間の中で9冊しか単行本を出していません。「ストーリー作りが苦手」と明かしていますが短編漫画を描き続けることに疲れていたとも言われています。
たつき諒の著書「私が見た未来」が東日本大震災を予言して話題になる
たつき諒「私が見た未来」
2011年3月11日に発生した東日本大震災を予言したと言われている漫画(本作の発行日は1999年)
表紙には『大災害は2011年3月』とはっきりと書かれており、作品中でも津波についてのエピソードが描かれている。 pic.twitter.com/Be6HJ4iGHa— Kei (@kinkai8) March 10, 2019
たつき諒さんが引退する前に執筆した著書「私が見た未来」に書かれていた「大災害は2011年3月」という文章が東日本大震災(2011年3月11日)と一致していたことで話題になります。
当時はすでに過去の作品として入手困難な状態になっていたので「私が見た未来」は古本でも10万円以上の高値が付くようになり、さらには50万円まで高騰していたんですよ。
ですが、すでに絶版となっていたので、たつき諒さんに印税が入ることもなかったようです。
たつき諒は1999年に漫画家を引退。医療事務や福祉コーディネーターの仕事で働く
たつき諒さんは漫画家を引退した後は第二の人生として医療事務の仕事や福祉コーディネーターとして働いていました。
そしてパソコンで日記やイラストを描いたり、興味があった建築係などの研修や資格を受講して人生を謳歌していたんですよ。
たつき諒さんにとって第二の人生はとても楽しかったようで「気付いたら漫画家を引退してから22年も経っていた」と話しています。
たつき諒さんにとって漫画家として活動してきた25年間は大変な道のりだったのかもしれませんね。
たつき諒の名を語る偽物(なりすまし)の富士山噴火予言(デマ)が奇しくも、たつき諒の予知夢ブームの引き金となる
⚠️超〜〜〜話題の漫画📕たつき諒さん著者➡️『私が見た未来』🌏👉富士山大噴火🗻🔥予知夢😴2021年🗾2036年🇯🇵15年周期な法則通りなら2️⃣0️⃣2️⃣1️⃣年0️⃣8️⃣月2️⃣0️⃣日(金曜日)👉17日後😱💦⁉️⁉️⁉️
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[たつき諒の名を語る偽物(なりすまし)が富士山噴火という予言(デマ)を発表する]
たつき諒『私が見た未来 完全版』を読了。
予知夢を見る作者が未来に起こる災害を漫画にしたもので、東日本大震災を発生の10年以上前に予言していたとして話題になりました。
今回の完全版では新たな予言の追加があり、次の大災害は2025年7月とのこと。 pic.twitter.com/eoCPd44eRr— 豆山くん (@mameyama_kun) October 2, 2021
[たつき諒の偽物(なりすまし)についてのコメント]
たつき諒の名を語る偽物(なりすまし)が2011年に現れて嘘の予知夢を広めます。
たつき諒さんは1999年に執筆した「私が見た未来」(初版)が発売されると漫画家を引退し第二の人生を歩んでいました。
たつき諒さんの使っている携帯電話はガラケーでありインターネットにはつなげていないので自分の情報を外部から知ることはありませんでした。
そのため偽物が自分の名を語ってデマの予知夢を言っていることに気付かなかったのです。
偽物(なりすまし)が出現した2011年は「私が見た未来」が東日本大震災を的中させたことで脚光を浴びていました。
つまり、著書「私が見た未来」に書かれていた東日本大震災(2011年3月11日)の予知夢が的中したことを知った何者かが、お金を目的にして、たつき諒さんの名を語りウソの情報を発信したということでしょう。
たつき諒の偽物(なりすまし)は2020年頃からウェブサイト「不思議探偵社」にも登場しています。そして出版社にも働き掛けて災害に関する偽の予知夢情報を発信しています。
そしてたつき諒の偽物は週刊誌「FRIDAY 2021年4月9日号」に『東日本大震災を的確に当てた「予言漫画」次のXデー』『私が見た未来の作者が緊急警鐘!幻の”予言漫画”に描かれた衝撃の未来』と題したインタビュー記事を掲載します。
さらに月刊誌「ムー 2021年7月号[13]」)には『漫画家「たつき諒」が富士山噴火を警告!!』と題した記事を掲載しています。
偽物(なりすまし)はたつき諒の名を語って富士山が噴火すると警告しました。
富士山が噴火するいう偽の情報はマスコミやYouTuberたち、そしてブロガーたちを駆り立てました。そしてこのデマは噂になって広まっていったんですよね。
結論を言うと、たつき諒さんは富士山の噴火は起こらないと話しています。富士山噴火はあくまでも壮絶な未来を象徴する暗喩(あんゆ)的なものであり、規模な富士山の噴火は起こらないと思っている」と話しています。
このような騒ぎにより予知夢は話題になり、「私が見た未来」の復刻版を発売してほしいという人々の意見が高まります。
そしてたつき諒の偽物(なりすまし)は飛鳥新社に「私が見た未来」復刻版(デマ)を出すという話を持ち掛けて2021年7月に出版しようとしたんですよ。
たつき諒さんの著書「私が見た未来」は東日本大震災の予知夢を的中させたことで話題になっていましたが当時はすでに絶版になっており入手困難は状況でした。
そのため「私が見た未来」は古本に10万円以上の高値になっており50万円まで高騰していました。
たつき諒本人が偽物(なりすまし)の暴挙を阻止して「私が見た未来 完全版」を発売する
私の見た夢や漫画がきっかけとなり準備、対策をしっかりして災害や災難がいつ何時起ころうとも、役立つキッカケになれたら幸いです。私はけっして不安や恐怖をあおるつもりはありません。助けあい 協力しあって安心して生きていける 平和な未来が訪れることを信じています。#たつき諒 #私が見た未来 pic.twitter.com/UsuOhlqf3n
— 飛鳥新社 📚公式@雨穴著『変な家2』絶賛発売中! (@ASUKA_SHINSHA) January 16, 2022
たつき諒さんは姪や甥から自分がマスコミで話題になっているという知らせを受けます。
そして、たつき諒さんは飛鳥新社に連絡をして偽物(なりすまし)の暴挙である「私が見た未来」復刻版(デマ)の発行を阻止しました。
飛鳥新社は「私が見た未来」復刻版(デマ)の発行を中止すると、たつき諒さん本人に改めて「私が見た未来 完全版」の発売を依頼します。
そして「私が見た未来」(初版)に改訂を入れ予知夢に解説を付け加えた「私が見た未来 完全版」が編集されて2021年10月2日に発売されました。
たつき諒が「私が見た未来 完全版」を発売した理由。予言と現役復帰
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[たつき諒が漫画家に復帰して書下ろした作品「たつき諒選集1 怪奇(Mystery)」]
たつき諒さんは「私が見た未来 完全版」を発売することで自分の名前を語る偽物(なりすまし)がデマの予知夢を広めることを止めています。
そしてスピリチュアル系YouTuberのNaokimanに会って、偽物(なりすまし)が広めたデマの予知夢である大規模な富士山噴火は起こらないと伝えています。
ですが、たつき諒さんが「私が見た未来 完全版」で一番伝えたかったことは2025年7月に起こる津波による大災害の予知夢のことでした。
たつき諒さんは『私が見た未来 完全版』を発売した理由について「2025年7月に起こる津波による大災害を予知夢で見たことを多くの人に知ってもらうことで可能な限り被害を小さくしたい。発売した理由は本が話題になることでも不安におとしいれることでもなく、このことを知ってもらうことで被害を避ける事が出来るのであれば…。」と話しています。
たつき諒さんは1999年に漫画家を引退していますが2022年3月(当時67歳)に漫画家として復帰しています。そして書下ろし作品「たつき諒選集1 怪奇(Mystery)」を発売しています。
たつき諒の著書「私が見た未来 完全版」はベストセラーになる
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たつき諒さんの著書「私が見た未来 完全版」は2021年10月2日に発売されてから、わずか1ヵ月半で40万部を売り上げるベストセラーになっています。
そして同書は日本出版販売による調査によると2022年上半期ベストセラーにもランクインして総合第6位となっており販売部数は56万部を突破しています。
『NHKニュース おはよう日本』(2022年6月1日放送)をふくむ数多くのテレビ番組でも紹介されて大きな反響を呼んでいるんですよ。
多くの方が関心を寄せているのは「私が見た未来 完全版」に書かれている2025年7月の大災害のことでしょうね。
まとめ
たつき諒さんの東日本大震災(3.11)や2025年7月5日の大災難を含む予知夢のネタバレとWikiまとめをお伝えしました。
こちらではたつき諒さんの予言を含む2025年7月予言関連の情報を紹介しています。ぜひご覧ください。
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