大八木京子と大八木弘明監督の馴れ初めについて!学歴や経歴も!

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大八木京子さんの学生時代から駒澤大学陸上競技部の寮母になるまでの経歴と大八木弘明監督とのなれそめについて紹介します!

さらに京子さんが寮母として料理作り続ける理由や部員たちに愛される理由についてもお伝えしますね!

夫の大八木監督は「女房の食事がなかったら、駒澤大学陸上競技部はないというくらい。大事な人です」と胸の内を明かしています。

そんな素敵な大八木京子さんを紹介します!

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大八木京子について

大八木京子[大八木京子]
出典 https://number.bunshun.jp

大八木京子さんは1995年から駒澤大学陸上競技部の寮母として部員たちに愛情を込めた料理を作り続けています。

京子さんが寮母になったきっかけは駒澤大学陸上競技部のコーチに就任した大八木弘明監督に頼まれたからなんです。

低迷していた駒澤大学を復活させるには競技と生徒たちへの情熱だけでは足りないと判断した大八木弘明監督は妻の京子さんに相談することに。

大八木監督は駒澤大学陸上競技部が復活するためには深い愛情を根底にした食事管理と精神的ケアが必要だと感じたのです

大八木夫妻は「食事を作る人がいないとダメだよね」という結論を導き出すと京子さんが部員たちの食事担当になったんですよ。

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大八木京子 経歴

駒澤大学陸上競技部道環寮・寮母 大八木京子[駒澤大学陸上競技部道環寮・寮母 大八木京子]
出典 https://www.hamakei.com

大八木京子さんは駒澤大学出身で駒澤大学陸上競技部マネージャーを務めていました。

夫である大八木弘明監督と同期なんですよ!

駒澤大学陸上競技部マネージャー時代から寮母になるまでの経歴をまとめてお伝えしますね!

さらに大八木弘明監督との馴れ初めについても紹介しますよ!

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大八木京子 駒澤大学学生時代

大八木京子さんは神奈川県横浜市生まれ。1983年に駒澤大学に進学。

同じ年に当時24歳の大八木弘明監督は社会人から駒澤大学経済学部2部・夜間部に進学。

京子さんは駒澤大学陸上競技部のマネージャーになり5歳年の大八木弘明監督と同級生として出会います。

マネージャーの人数は少なく故障した選手たちがサポートをおこなっていました。

京子さんはタイム計測や練習のサポートをメインに活動していたんですよ。

大八木京子さんと大八木弘明監督は駒澤大学の学生時代は選手とマネージャーという関係だったんですね!

大八木京子さんと大八木弘明監督が大学生だった頃の駒澤大学陸上競技部の環境とは?

駒澤大学の学生だった頃の大八木京子さんは陸上競技部のマネージャーとして「箱根駅伝のときは寮へ行って買い出しをおこない食事の手伝いをしていました」とのこと。

当時の駒澤大学陸上競技部の寮の建物は古くてあまり綺麗ではなかったそうですよ。

生徒たちは学業と練習をしながら各自で自炊していたので体調管理の水準は今と比べるとずっと低かったようですね。

「練習が終わって疲れて帰ってきて、簡単なもので済ませたり、朝練習の途中で1年生が抜けて朝食を作ったり」という当時の状況を明かしてくれています。

大八木弘明監督も大学生時代は練習後の疲労を感じながら自分で朝・昼・晩の食事を作っていたのでしょう。

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大八木京子 大八木弘明監督と結婚するまでのなれそめ

大八木弘明監督と寮母である京子夫人[大八木弘明監督と寮母である京子夫人]
出典 https://www.yomiuri.co.jp

大八木京子さんは駒澤大学で社会科の教員免許を取得し卒業後は高校の講師をしていたんですよ。

そんな京子さんは卒業後のOB会で大八木弘明監督と再会することに!

「いつまでもお互いに相手がいないな」と思い合っていた2人は急接近し交際に発展します。そして29歳のときに結婚したんですよ!

その当時の大八木監督はヤクルトの実業団で選手として活動しながらコーチとしての役割も担っていました。

[高校の講師とは教員の一種ですが専任の教諭(きょうゆ)とは異なります。講師は教員免許を有していますが教員採用試験は合格していない非正規雇用の教員であり一般的には1年契約となっています。]

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大八木京子 駒澤大学陸上競技部の寮母としての経歴

食事を盛り付ける大八木京子[料理を盛り付ける大八木京子]
出典 https://oggi.jp

大八木京子の料理を食べる駒澤大学陸上競技部の生徒[大八木京子の料理を食べる駒澤大学陸上競技部の生徒たち。左から3番目は田澤廉]
出典 https://4years.asahi.com

1995年4月、大八木弘明監督は36歳のときに駒澤大学陸上競技部のコーチに就任すると妻である京子さんは「寮で学生たちに食事を作ってくれないか」とお願いされます。

大八木弘明監督が京子さんに寮母を依頼した理由は「食事も簡単なもので済ませたり、いい加減だったりでは強くなるわけがない」ということでした。

京子さんが寮母を務める前の寮の食事は部員たちが各自で自炊していました。

学業と練習で疲労している状況で栄養管理をすることはとても難しかったようです。

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当時、部員だった河合さんは「大八木コーチが就任したことで寮に起こった変化は食生活です。それまで朝晩の食事の仕度は一年生の仕事でした。調理済みか、火を通すだけの物が多く、味噌汁もインスタントでした。品数も少なく、栄養の偏りはあったと思います。それがコーチの奥さんに作っていただける様になりました」と明かしています。

大八木監督は大学生時代に陸上競技部のマネージャを務めていた京子さんのサポートを受けて心を癒された経験があるように部員たちにも京子さんのやさしさが手助けになると感じたのでしょうね。

寮母になることを承諾した京子さんも、夫婦で生徒たちを支えようと決心した大八木弘明監督にも深い愛情を感じます。

寮母になった当初の京子さんは「何十人分もの食事を作ったことはなかったですし、最初の四誓寮(しせいりょう)は調理場も狭くて、あまりキレイではなかったですし、慣れるまでは大変でしたね」と胸の内を明かしています。

最初の駒澤大学陸上競技部の寮である四誓寮(しせいりょう)で4年、その次の道環寮(どうかんりょう)で18年、そして新たな道環寮になって厨房の環境は改善されていきました。

1995年から始まった寮母としての人生はこれからも続いていくことでしょう。

京子さんの愛情と食事を楽しみにしている新入部員たちは毎年この道環寮にやってくるのですから。

大八木京子 寮母として食事を作り続ける理由

大八木弘明監督と大八木京子夫人[大八木弘明監督と大八木京子夫人]
出典 https://www.rikujyokyogi.co.jp

大八木京子さんは寮母として働きながら2007年から専門学校に通います。

「学生たちのためにも経験だけではなくて、知識としても栄養を勉強したい」という思いを胸に2年間、勉学に励(はげ)み栄養士の免許を取得します。

そして5年間、栄養士として福祉施設で食事の献立を作成する仕事を寮母の仕事と掛け持ちでおこないました。

京子さんが食事を作り続ける理由は生徒たちの健康な体づくりのサポートをするという情熱とおいしい料理を食べて心を満たしてほしいという思いがあるから。

そんな京子さんは「栄養のバランスは考えるんですけど、細かいカロリー計算はしていない」「厳しい練習をして帰ってくるので、食事を制限して食べることが楽しめなくなってしまったらかわいそう」と言い切ります。

それくらい部員たちへの深い愛情を込めて料理を作っているんですね。

そんな京子さんは「残さず食べてくれるのがやっぱり嬉しい」という胸の内を明かしています。

そして学生たちが卒業するときに「食事、美味しかったです!」と言ってくれることがとても嬉しいとのことですよ。

大八木弘明監督は取材を受けると京子さんへの思いは「感謝しかない」と胸の内を明かしています。

その言葉を聞いた京子さんは「取材の時だけなんですよ、そう言うの」と笑いを誘っていましたよ。

大八木京子 生徒たちに愛される理由

大八木京子さんと駒澤大学陸上競技部の部員たちの集合写真[大八木京子と駒澤大学陸上競技部の部員たちの集合写真]
出典 https://4years.asahi.com

陸上競技部の部員も卒業生もマネージャーたちも大八木京子さんのことを「奥さん」と呼びます。

若いときの京子さんはまだ小さい娘をおんぶしながらずっと厨房に立ち続け生徒たちの食事を作ってきました。駒澤大学陸上競技部で暮らす生徒たちは『大八木家』の一員と言ってよいくらいの一体感に包まれているんですよ。

大八木弘明監督の厳しい指導で気持ちが落ち込んでいる生徒たちは京子さんの愛情いっぱいの言葉で何度でも立ち上がります。

大八木弘明監督は父親のようであり京子さんは母親のようですよね。

大八木京子と調理をサポートする女子マネージャー[大八木京子と調理を手伝う女子マネージャー]
出典 https://dosports.yahoo.co.jp

そんな京子さんの調理を手伝うのは女子マネージャーたち。

数名のマネージャーたちが曜日ごとに交代しながら40人分以上の食事作りをサポートします。

マネージャーたちも自分たちの未来を見据え母親としての在(あ)り方を京子さんから学び取っているのでしょうね。

京子さんは「学生たちのお母さんよりも年上になってしまって」と優しく微笑みます。

京子さんは一人ひとりをしっかりと観察していて体調レベルが落ちている部員にはおかゆを用意したりアレルギーのある部員に使用する食材も管理しています。

長距離を走るための貧血対策や大切な体作りをしっかりとサポートしているんですよ。

そして誕生日を迎えた部員には手書きのメッセージカードを添えてケーキをプレゼントします。

愛情をたくさんもらった生徒たちは卒業しても『奥さん』の携帯番号を保管しているそうですよ。

京子さんは取材を受けて印象に残っている選手の名前を質問されると「どの選手も覚えています」とやさしく答えたときの笑顔がとても素敵でしたよ。

まとめ

駒澤大学陸上競技部が輝き続ける理由は寮母である大八木京子さんの深い愛情を常に受け取っていたからなのですね。

そんな無償の愛に溢れた京子さんのもとにはこれからも新たな新入部員が訪れることでしょう。

これからも大八木京子さんを応援していきます!

大八木京子さんの学生時代から駒澤大学陸上競技部の寮母までの経歴と大八木弘明監督とのなれそめについて紹介します!

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